先生の話

高校の部活の顧問は変わり者の先生でした。

のらりくらりとしていて、校則には超ゆるゆるで、携帯持ち込み禁止なのに部室で携帯いじってても見逃してくれるし、なんだったら先生はたまに部室でモンハンしてる(何で??)

生徒が部活上がる時、さよなら替わりに「襲われないように襲わないように!」と言ってくる(襲わないように??)

出会った当初から先生はすでに病気を患っていて、もう死ぬもう死ぬとよく口にしていましたが、いつもハツラツとしていて死にそうな気配は全くありませんでした。聞くと、先輩方の代からもう死ぬもう死ぬと言い続けているようで、こりゃ当分死なないねと部活の仲間たちとも話してました。

私が高校を卒業してから2~3年後、先生は亡くなりました。

さっき、数年ぶりにリアル用SNSアカウントにログインして投稿を整理していたら、「最高の先生だって全世界に自慢できる」と過去の私が言っていて。「ありがとう」と当時先生から返信があって。

部室前の見慣れた廊下をアイコンにしているこのアカウントは、もう亡くなった人のアカウントなんだ、と思うとこみ上げてくるものがありました。

お墓ではないけど、故人を悼むことのできる場所がネット上にある。やっぱり墓石に近いのかもしれない。インターネット墓石、というとだいぶチープな感じがしてしまうけれど。

先生の話をしたのはしんみりしたいからじゃなくて、先生がくれた言葉でお気に入りがあるからです。

当時高校生の私はそれはもうナイ~~~ブな子で、日記を見返してもずいぶん後ろ向きな思考癖があるなと感じます。社会の荒波に揉まれた今はそこそこ図太くなりましたが(笑)

今でもよく覚えているのですが、友達に対して嫌な態度を取ってしまった日の放課後、部室でものすごく落ち込んでた日がありました。

先生にどうしたんだと声を掛けられ、もうダメです私なんて…と返して、先生から一言。

「人でも殺した!?」

「殺してないですけど!?!?」

「じゃあ大丈夫!」

何がどう大丈夫なんでしょうか(笑)

「人を殺してないから大丈夫」なんてあまりにも極論すぎるパワーワードですが、この言葉は今でも時折私の心を軽くしてくれるお守りです。

社会の中で生活してれば多かれ少なかれ色々やらかしてしまうわけですが、「まぁでも、人を殺したわけじゃないしな…」と思うことで、実を結ばない自責タイムから抜けて楽になれます。

私はなんてダメダメなめくじなんだ…!と悩んでどうにかなるならいいんですけど、大抵の場合自責の念は何も生み出さないので、一度感情抜きにして対策を考えるなり楽しいことに時間を使うなりしたほうがよっぽど有意義だなと、20と数年生きてきてしみじみ感じます。

特に根が真面目すぎる人にちょうどいいぐらいの「人殺してないから大丈夫」、自分を追い詰めてるかもと感じた時に思い出してみてください。可能であれば、小声でいいので声に出してみてください。

少し楽になれるかもしれません。